聖書通読:ヨナ書3日目(2章1〜10節)

今日の通読の範囲

オリーブさん:

二章は主にヨナの祈りになります。では二章いきますね。10節だけなので、今日1日で2章を読み切ります。

ディスカッション

質問1:ヨナの回心の流れ[2:1-4]

1『ああ主よ。主はわたしを退け、投げ捨てました。もう二度と、あなたの聖なる神殿を見ることはできません。』2「いのちから締め出され、死の国の囚人になってしまいました。」3しかし、わたしの神、主よ、あなたは大きく開いた死の口から、私を引き上げてくださいました。4まったく望みが絶たれようとした時、もう一度、私は主に思いを向けました。そして聖なる神殿におられるあなたに、真剣な祈りをささげました。

あおくび大根さん:

この回心の流れを、わたし自身も、何度も何度も…😵💡主は、わたしたちが、すべてをかなぐり捨てて、主が差し伸べてくださる御手のみを掴み取るための、すべてのことを、なさるのですよね。。💦しかし、それは真の救いをわたしたちが掴み取るための、愛であり〜🥺💦愛である神のみわざではなく、自分の力のみを信じ続けている人間には、その救いを見つけることができない…その傲慢さを崩壊させるためのあらゆることを、神はなさるときがある〜😵💦その神の愛に気がついたときの至福は、この世の何者にも換えられない。。。しかし!!!愛はあたたかく、優しく、愛ゆえに、はちゃめちゃに厳しい〜😭❣️

主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。
【ルカ福音書5:8(シモン・ぺモロの言葉)】

主は言いました:「恐れることはない。」

自らの罪深さを知るとき、心のすべてで、神様と出会えるのかなあ…
まとまらぬ、ありのままの感想でした💦

マスカットさん:

うなずけます。私はそういう強引さを constraining love (押し迫る愛)と理解しています。

あおくび大根さん:

あああ!そうなのです〜!本当にそのような強引さを、かんじます。
どん底の中で「もう一度、わたしは主に思いを向けました。そして聖なる神殿におられるあなたに、真剣な祈りをささげました。」と、真実のうちに神さまに縋ることができたとき、途端にすべての歯車が噛み合ったように動き出し、わたしの目には隠されていた善の姿が現れてくる…そんな経験が、何度もあります。

…わたしはすぐに傲慢さを手にしてしまう心の弱さがあります👺💦
ちいさなアリに戻すための主のみわざにも、なかなか強い力を必要としてしまうほどの、頑固な傲慢さを抱えているのでしょう〜💦

ブルーベリーさん:

@あおくび大根さん、とても面白い感想でした✨聞かせてくれて、ありがとうございます😄

ズッキーニーさん:

@あおくび大根さん、心の傲慢さ、ほんのちょっと前に気づかされました。「神様、神様」と呼び求めてたはずなのに、いつのまにか自分が素晴らしい人間になったと思い込み、自分の思いばかりを優先していました。ですが、一度神様にその思いを委ねた時、少しずつ神様が何を求めているのかが分かってきました。神様って意地悪だなあって思う時があるのですが、必ず手を握ってて下さる、必ず救いを与えてくれる、これからも神様が見守っててくれると前よりも確信を持っていうことが出来るようになりました

質問2:神はどういう風に答えてくれるのか?[2:2]

ブルーベリーさん:

ヨナ書2:2「苦しくてどうしようもない時、私が主に向かって叫ぶと、主は答えてくださいました。死の淵から叫ぶと、主よ、あなたは聞いてくださいました。

ヨナのこういった経験談は、具体的に聖書のどかに書かれていますか?

オリーブさん:

ヨナの体験談はこのヨナ書しかありません。

ブルーベリーさん:

『答えてくれる、聞いてくれる』というのは、心の中の会話(祈り)だと思うのですが、信仰のない私は実感を持てません。

聖書部のみなさんは、答えてくれる、聞いてくれるという感覚はありますか?

マスカットさん:

②霊の中の感覚で答えられる、環境や周りの人によって答えられるなど、様々です。下記に限ることではないが、分類するなら以前お伝えしました 聖書、聖霊、聖徒、+環境かなあと。明らかなことが少ないと思います。個人的に、注意深く観察し、祈りの中で神に心を開いていなければ気づかないことが多かったです。

ブルーベリーさん:

なるほど。人々の関わりは、何かしら影響し合っていると思います。
ただそれが神さまの意思によって...とまでは思いません。信仰の差ですね。
信仰していても、注意深く観察してないと見落としてしまうのですね💦

マスカットさん:

関連があるかどうか、神様の意思かどうかは、その人と神様の間の事柄になるので、一概に判断することができず、すべて各論になります。

ぽんかんさん:

「苦しくてどうしようもない時、私が主に向かって叫ぶと、主は答えてくださいました。死の淵から叫ぶと、主よ、あなたは聞いてくださいました。」いい聖句だなあ。そういや、俺は主に助けを求めて叫んでばかりだなあ。

ブルーベリーさん:

そうなんですね😌
神さまに助けを求めるのは、想像できます。
でも、身の回りにいる人には叫ばないのですか?同じように叫びますか?

ぽんかんさん:

ん~なんて説明したらいいのか神は天地万物を造られた方なので問題を解決するすることなんて簡単なはずです。ではなぜ問題を与えたり、解決しないでそのままにしたりするのか。人を神の方に向かせるために、そういう事物や環境、果てはサタンまで用いてるのではないかとおもいます。人に向かって助けを求めたりもしますが、事態は好転することもありますが、悪化することもあります。でも振り返ってみると、結局神は自分の方に振り向かせたくてそういう状況に置いたんだなってことが大半ですね。ヨブ記を読むと、サタンはわざわざ神の御座までいって許可をもらってからヨブを困らせてます。

ぽんかんさん:

で、イエス・キリストはぺテロにこんなこと言ってるんです。これ、生々しい言葉だなって感じます。日々主が自分に語ってるような。

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカの福音書 22章 31〜32節 聖書 新改訳2003

ブルーベリーさん:

神は善悪の知識の実を食べたアダムを見放して、死が訪れるという罰を与えましたよね。罰を与えたのに、神の方を向いて欲しいってどういう事なんでしょうか?

質問3:海に投げ込まれたあとの出来事の順序は?[2:5-6]

(5) 波にのまれ、もう少しで死ぬところでした。大水が私をふさぎ、海草が頭にからみつきました。(6) 私は海底にそびえる山々の底まで沈んだのです。いのちから締め出され、死の国の囚人になってしまいました。しかし、私の神、主よ、あなたは大きく開いた死の口から、私を引き上げてくださいました。[ヨナ書2:5-6 リビングバイブル]

ブルーベリーさん:

大きな魚に飲み込まれたのは、この後ですか?それとも魚のお腹の中の話なんでしょうか?大きく開いた死の口とは、魚の口の事ですかね?それとも海溝?海底に沈んで、魚に飲み込まれてから三日三晩ですか?

マスカットさん:

5節は魚に飲まれる前、6節は飲まれた後です。

(1)キリストも死んで三日三晩後復活されたので、6節の「死」の経験は魚のお腹の中の三日三晩だ思われます。
(2)物理的に魚のお腹の中じゃないと、深海では水圧で体が押し潰されていたと思います。

ブルーベリーさん:

ヨナ書2:6では「海底にそびえる山々の底まで沈んだ」と書かれています。たしかにそんな海底であれば、ヨナは水圧で死んでそうです。

質問4:散々な目にあったヨナはなんで感謝できる?[2:9]

ブルーベリーさん:

ヨナの望みは、ニネベに行きたくない。だから抗ったのに死ねないから神さまと向かい合った。向かい合ったら、神さまがしてくれた事にどう感謝するか・・・なんて、私は思わないだろうなぁ💧みなさんは、どうでしょうか?昨日ドリアンさんが、「周りの環境を整えて、自分の道は行き止まりであることを見せている。」と仰いました。自主的に主体性をもって行うことを欲していて、無理強いはしたくないのに、神さまがヨナにした事は無理強い以外の何物でもない気がしました。最終的にヨナが決断し、神さまの言葉をニネベに伝えることになりましたけど・・・腑に落ちませんでした。

オリーブさん:

基本的にヨナは神様に忠実でありたいと思っていたはずです。そのような人であったからこそ神はニネベにヨナをおつかわしになさろうとした。ですから神に忠実でありたいと思いながらも、自分の弱さのゆえに逃げようとしたヨナが自分の使命に向き合う機会を神が与えてくださったとも考えられませんか?ですから逃げようとしたヨナを罰するのではなく、チャンスを与えられた。

ぽんかんさん:

神のみこころから逃げ出したけど
海に落とされて魚に飲まれて。
なんだこれは
俺のことではないか・・・

オリーブさん:

ご自分のことをそんなふうに思うんですね?

ぽんかんさん:

七転八倒系クリスチャンなんで。

ズッキーニー:

その気持ち、よく分かります。
去年、この箇所を読んだ時に笑いながら「これ自分じゃん!」って思ったのを覚えてます。

ぽんかんさん:

この物語を読んだ人はみんな、これは自分の物語ではないか、自分はこんなにも主から愛されてるんだ、
自分ほど主から愛されてる者はない、と思うかもしれません。でもそれは間違いです。
神から一番愛されてるのは私なんです。

 

以上。通読3日目、ヨナ書の2章でした。明日は3章です。ではまた明日✋