
本日の通読の本文
【通読範囲:ヨナ書1章7〜17節】
おはようございます。
本日の通読範囲です。[ヨナ書1:7-17]
これで1章が終わりです。
7やがて人々は互に言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。 8そこで人々はヨナに言った、「この災がだれのせいで、われわれに臨んだのか、われわれに告げなさい。あなたの職業は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。あなたはどこの民か」。 9ヨナは彼らに言った、「わたしはヘブルびとです。わたしは海と陸とをお造りになった天の神、主を恐れる者です」。10そこで人々ははなはだしく恐れて、彼に言った、「あなたはなんたる事をしてくれたのか」。人々は彼がさきに彼らに告げた事によって、彼が主の前を離れて、のがれようとしていた事を知っていたからである。11人々は彼に言った、「われわれのために海が静まるには、あなたをどうしたらよかろうか」。それは海がますます荒れてきたからである。 12ヨナは彼らに言った、「わたしを取って海に投げ入れなさい。そうしたら海は、あなたがたのために静まるでしょう。わたしにはよくわかっています。この激しい暴風があなたがたに臨んだのは、わたしのせいです」。 13しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった。それは海が彼らに逆らって、いよいよ荒れたからである。 14そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。 15そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。 16そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。17主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。
ディスカッション
質問1:ヨナに逃げない方法はあったか?[1:10]
キャベツさん:
アダムがエバ(イブ)のせいにせず、正直に謝ったら神様も他の対処をされたのではないかと聞いたことがあります。同じように、エバも約束を破って善悪の知識の実を食べる前に、食べたくて我慢できませんと神様に訴えたら、結果は変わっていたのではないかと。モーセも、神様から命令された時に、「私にはできません」と言って、必要な助け手を与えてくれてたよね。神様、わりと交渉に応じてくれてる気がします。アブラハムも神に、ソドムの町に何人正しい人が居たら滅ぼさないとか、交渉してたよね。ヨナも、ただ逃げずに、「神様ムリです、一人で行くの怖いし嫌です」と言っていたら、誰かを寄越してくれたかも…
キャベツさん:
それ以来わたしは、神様から何か大変そうな事を頼まれたら、一応逃げる前に、「無理です、怖いし…」って交渉する決意を持って常に生きております。
オリーブさん:
ロトも交渉しましたね。[創世記 19:18-20]
「どうぞ、そんなことになりませんように。これほどまでして、いのちを助けてくださるご親切には、お礼の申しようもございません。けれども、山の中ではなく、あそこに見える、小さな村に逃げ込んではいけないでしょうか。きっと山にたどり着く前に力尽きて、滅ぼされてしまいます。あの村ならそんなに遠くないですし、それにほんの小さな村ではありませんか。お願いです。あそこへ行かせてください。どんなに小さい村か、どうぞごらんください。あそこなら、私たちは助かります。」[創世記 19:18-20 リビングバイブル]
キャベツさん:
気持ち分かるわぁ~ダメだ!休まず行け!って神様に言われたら泣いちゃう…
放蕩息子の兄も、父親から「牛くらい、欲しかったら言えば良かったのに」みたいなこと言われてましたね。我々が交渉して来るのを、待っているところ、あるかもしれない
マスカットさん:
交渉について二種類が考えられます。一つはアブラハムのように神様が考えてるいることを語り出す交渉。一つはロトのように、自分の考えに合わせて神様に妥協させる交渉。二つの交渉の意義と結果は明らかに違います。
キャベツさん:
そうですね~ロトが神様を信頼しきっていたら、出てこない言葉だったのかな
質問2:神から逃げたら大変なことなるなあ[1:15]
そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。[ヨナ書1:15 口語訳]
キャベツさん:
神様から逃げたら、大変なことになるなぁ
ドリアンさん:
水夫たちはヨナを海に放り投げたくなくて、出来る限りの努力はしました。神が大魚を送ったのは、ヨナに対する救いだったようです。少なくともヨナはそう理解しています。
オリーブさん:
大魚とはさ大型の鮫のような魚?
それとも哺乳類のクジラ?
ドリアンさん:
鮫だと歯があるので、食べる時に細かくされそうですね。痛そうです。
ぽんかんさん:
冷静かつあっけらかんと・・・
((( ;゚Д゚)))
キャベツさん:
確か、他サイトで、この魚ではないか?と検証されてました。真偽が不確かなので載せませんが・・・
ぽんかんさん:
よく読むとなんか不思議な話です
海に落ちたら普通死にます。
大きな魚に飲まれたら普通死にます。
でも、海に落ちて大きな魚に飲まれたので生き延びた。
キャベツさん:
三日もあれば消化されそうですよね。
オリーブさん:
ピノキオの話でもゼペット爺さんがクジラにのまれてピノキオが助けにいく話がありましたね。多分このヨナの話がモチーフになっているんでしょうね。
質問3:水夫たちは何を信仰することになったのか?[1:16]
ヨナ書1-15そして彼らは、ヨナを荒れ狂う海に投げ込みました。すると、嵐はおさまりました。 16人々は主の前に恐れ、いけにえをささげて、主に仕えることを誓いました。
ブルーベリーさん:
投げ込んだのは水夫、水夫達はこの一件で何を信仰することを誓ったのですか?
オリーブさん:
良い質問ですね!ヨナの神ですね。ヨナの神はアブラハムの神です。つまり聖書の神です。船員たちはイスラエルの神であるヤーウェを知っていたかもしれませんか、ヨナの自己紹介のときに、ヨナの神であるヤーウェを意識したのでしょうね
マスカットさん:
日本語が「主」と訳している原文はヤーウェ(エホバ)ですので、アブラハムの神、ヨナの神を指します。
オリーブさん:
補足していただいてありがとうございます。
マスカットさん:
正確にいうと三位一体の神かな。それは「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という言葉によって暗示されています。
・アブラハム→父なる神
・イサク→子なる神(イエス・キリスト)
・ヤコブ →霊なる神
また、ヤコブはかつて神のことを祖父と父の神としていたが、のちに自分の神と認識するようになりました。それは現代のクリスチャン二世に通じることです。自分にとって客観的な存在、親が信じている神だったが、自分が主観的に神に触れるようになると、「私の神」に変わります。ヨナから大分話が逸れてしまいましたが。
そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
創世記 28章13節 聖書新改訳2017ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」
創世記 28章20~22節 聖書新改訳2017
→ヤコブがまだ未熟な時の祈りでした。
ブルーベリーさん:
なるほどー。よく分かりました😄ありがとうございます✨三位一体の神の説明も分かりやすかったです。言葉は分かりますが、意味はよく分からないままですけどね(笑)
ぽんかんさん:
しっかしなあ、三位だけど一体だって、神は人間の想像の産物だって思ってる人に言いたい。もし本当にそうなら、もっと布教しやすい神を設定するって。三位一体の神は本当にいるってことだ。
以上。ヨナ書の通読2日目でした。
明日は2章です。では、また明日✋