
2020年11月は人気投票同位3番目だった人名で朗読フェアを行います。
前回の11/15㈰はモーセの言葉、11/22㈰はペテロの言葉をやりました。
エステル記の通読は金曜日に終えますので、今回の朗読は土日二日間行います。
11/28㈯、パウロの言葉です。
*推薦者によって集められたおすすめ箇所ですが、各自が使う訳本をそのままにしています。使徒行伝、使徒の働き、使徒の言行録、全部同じ書を指しています。
パウロの言葉のおすすめ箇所
❶使徒行伝 9:1-9
《背景》キリスト者を迫害するサウロ(のちのパウロ)がイエスと出会う場面。このことがあって回心し、イエスの福音を伝える伝道者となる。
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。 ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。 サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
使徒行伝 9:1-9 口語訳
❷使徒行伝 15:36-41 & テモテへの第二の手紙 4:9-11
聖書の箇所が2個でひとつのセットになってます。
《背景》パウロが各地にできた教会のアフターケアのために出かけようとしていた時に、マルコのことを非難して激論になり、ついにパウロは彼を連れて行かなかった。しかし、のちに獄中からのテモテへの手紙に、マルコは有益な者だから連れてくるようにと、マルコを許し受け入れている。パウロの激しさと優しさが表れている箇所。
「幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。」
使徒行伝 15:36-41「わたしの所に、急いで早くきてほしい。 デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。 ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。」
テモテへの第二の手紙 4:9-11
❸使徒言行録 17:22-31
少し長いですがこの箇所も素晴らしいです。
《背景》聖書の神を知らない人が多い日本で、相手に敬意を持って伝道する参考になるなあと、常々思わされます。ちょっと挑戦的な内容かもしれませんが…
「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 皆さんのうちのある詩人たちも、 『我らは神の中に生き、動き、存在する』 『我らもその子孫である』と、 言っているとおりです。 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」」
使徒言行録 17:22-31 新共同訳
❹使徒の働き 20:34
《推薦理由》ある注解書によれば、パウロはテント職人だったので、手は豆だらけ、傷だらけで、テント作りの時に使う染料が皮膚に染み込んでいたはず、とのことです。教会のために働いてるんだから教会の人たちに生活費を出してもらっても良さそうなもんだし、そうしてる人もいたけれど、パウロはそうはしなかったんです。テント職人やりながら、手は動かしつつ職人仲間に聖書の話をきかせたりしてました。
"あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。"
使徒の働き 20章 34節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
❺使徒行伝 20:35
《背景》海港ミレトスからシリアへ帰る前に、となりのエフェソス会衆(教会)の長老たちとの会合の中でパウロが話したことば!
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。」
使徒行伝 20:35 口語訳
❻使徒行伝 26:12-18
《背景》ここは、パウロがアグリッパ王とポルキウス・フェストゥスの前に引き出されて、信仰の弁明をする場面です。
"このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』"
使徒の働き 26章12~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
❼使徒行伝 27:21-26
《背景》パウロの忠告を聞かずに船長たちの意見を優先して出港した船は、嵐に会ってしまった。しかし、逃げ出そうとする人たちに対して、パウロは自分が必ずカイザルの前で裁判を受けることになっていると神から伝えられているから、ここで人命が失われることはない!と諭すところ。
「みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。 だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。 昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。 われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。
https://www.bible.com/bible/1820/act.27.21-26.口語訳」
使徒行伝 27:21-26 口語訳
❽コリントの信徒への手紙一 13:4-7, 13
《推薦理由》愛とは?と聞かれて答えられる人って世界の中で全然多くないんじゃないだろうか、と思います。愛がどんなものなのか、明確に伝えているのが、この箇所です。
「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」その言葉通りに、自分だけではなく、周りの人も、そして罪深い自分自身さえも、神様の愛を信じて、大切に愛することができるようになろうと思える箇所です。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙一 13:4-7, 13 新共同訳
❾コリントの信徒への手紙一 15:10
《背景》神の恵みによって今日のわたしがあるのです。パウロは霊的に卓越していました。しかし彼は自分は今の自分であるのは、神の恵みによるものだと言いました。そして、働いたのは自分ではなく、神の恵みであると、全ての栄光を神に帰しました。社交辞令ではなく、そう思っているし、それが事実であり、わたしたちもそのようになりたいです。
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
コリントの信徒への手紙一 15:10 新共同訳
以上です。