
質問
出エジプト記4章で、神はどうしてモーセを殺そうとしたのか?
出エジプト記4章24~26節
"24さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主はモーセに会い、彼を殺そうとされた。25そのとき、ツィポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り取り、モーセの両足に付けて言った。「まことに、あなたは私には血の花婿です。」26すると、主はモーセを放された。彼女はそのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。" (新改訳聖書2017)
解説
これはとても興味深い箇所です。創世記17章(アブラハム)とヨシュア記5章(ヨシュア)の事例と同じ原則です。三箇所とも割礼が行われました。人は自分の力に頼って神のことを行なってはならないというが啓示されています。割礼は洗礼の予表です。
下記の回復訳聖書のフットノートでよく解説されています。
25節の「息子の包皮を切り取り」
神がモーセを殺そうとしたことは(24節)、モーセの異邦人の妻であるチッポラに、彼女の息子を割礼することを強要しました。この割礼することは、天然の命を断ち切ることを表徴しました(参照、創17:10のフットノート1)。これは神が要求されたことであり、モーセを彼の務めの中に導きました。なぜなら無割礼の人、なおも肉や天然の命の中に生きている者は、神の務めに、あるいは、良き地を受け継ぐことについて神がアブラハムと結ばれた契約に、何の分も持つことができなかったからです(創17:9-15)。神に用いられる人は、彼らの天然の命に主観的に「切られた」しるしを担わなければなりません。アロンの組み合わせて(14-16節)チッポラによる切断の後、モーセに対する神の召しは完成しました。
26節の「血の花婿」
「血の花婿」という表現は、チッポラの目に、割礼が、彼女の夫モーセが死の判決の下にあるのを意味したことを暗示します(参照、Ⅱコリント1:9.4:10-12)。
*これは、2019/12/15、聖書部のオープンチャットで出た質問です。