シュラムの女は美しいだけではなく、恐ろしいの?雅歌6章のまとめと要点解説!

雅歌6章の要約(6:1-13)

5:2から続く、復活の経験の後、さらに深い十字架の経験をする区分は、6:13まで続きます。5:2から6:3までクリスチャンは主の臨在をな失い主を求めます。6:4から13までは主と親密な生活の描写です。クリスチャンの信仰は円熟して主と一つになっていきます。

①クリスチャンと幼いクリスチャンたちとの会話(1-3)

1.幼いクリスチャンたちからの質問と提案(1)
2.クリスチャンの返答(2-3)

②主との親密な生活(4-13)

1.主はクリスチャンを褒められる(4-10)
1-1.主から見ると美しく、サタンから見ると恐ろしい(4)
1-2.目は主を魅了する(5前半)
1-3.主に対する従順さ(5後半)
1-4.霊的咀嚼、吸収力(6)
1-5.語る言葉と容貌(7)
1-6.教会の集まりで、主からもほかのクリスチャンたちからも褒められる(8-9)
1-7.主から見ると美しく、サタンから見ると恐ろしい(10)

2.クリスチャンは主の働きを担う(11)

3.クリスチャンの成長と勝利(12-13)
3-1.クリスチャンの成長速度ははやまる(12)
3-2.クリスチャンはほかのクリスチャンたちから主と似た者、また勝利者として慕われる(13)

雅歌6章の見どころ

第6章にはきわめて重要な事柄があります。

成長したクリスチャンは、なぜ神から見ると美しく、サタンから見ると恐ろしいのでしょうか?クリスチャンはなぜ「シュラムの女」と呼ばれているのでしょうか?

クリスチャンは、神の命を持っており(ヨハネ3:16)、神のご性質を持ち(第二ペテロ1:4)、成長すればするほど主と同じ形へと変えられて(第二コリント3:18)、キリストに似た者となります(第一ヨハネ3:2)。

東方正教会ではこれを「神化」(しんか)と呼んでいます。カトリックのカテキズムにも同じことが書かれています。プロテスタントではルターやウェスレーが同様の発言をしています。

神成(しんせい、テオーシス、ギリシア語: Θέωσις, 英語: theosis)とは、キリスト教、特に正教会の神学である。神成は正教会での神学用語であるが、一般には「神化」(しんか)との訳語も用いられる。

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カテキズム(Catechism)は、キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説のことで、伝統的には洗礼や堅信礼といった儀式の前に行われる入門教育で用いられる。 文体は問答形式をとることが多い。

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「神化」と言っても、もちろん礼拝の対象になるわけではありません。そこだけは誤解なさらないでください。

さて、雅歌に話を戻します。
神から見て美しいのはなぜでしょうか?

成長したクリスチャンは神の命と性質に満ちているからです。

猫は猫と結婚し、犬は犬と結婚します。神は人を愛されますが、人間が人間のままであっては神の配偶者になれません。成長して神となる必要があるのです。
サタンからみて恐ろしいというのも、成長したクリスチャンが神と同じになっているからです。

シュラムはソロモン(シュロモーン)の女性形です。主はご自身と同じ命、同じ性質を持つシュラムの女を妻とされるのです。

ここにクリスチャン生活の目標があります。
十字架の血潮による贖いは大変尊いことですが、実はほんの開始にすぎません。通過点に過ぎません。
クリスチャン生活の目標は、神化されて神と夫婦となることにあります。

これは、雅歌を読み解く重要な鍵の1つですが、同時に聖書全体を読み解く重要な鍵でもあります。

文:アンテパス 2022/10/17

注(用語説明):ジョシュア

画像:Stable Diffusion

オープンチャット聖書部の聖書通読プログラムより

2022/10/17-19分 聖書通読