聖書通読|ローマ書16日目|8章パート2(14〜27節)

2020年7月2日分、ローマ8章パート2、14〜27節です。

たくさん見慣れない単語出てきて、質問オンパレードでした。

  • ①「御霊」と「霊」は何が違う?
  • ②「苦難」とは?
  • ③「被造物」はどこまで含む?
  • ④「栄光の自由」とは
  • ⑤「御霊の最初の実」とは?
  • ⑥「人の心を探り知るかた」は誰?

聖書朗読

いつもの耳に優しい、お父さんの声ですよ。

聖書本文

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭81427‬ ‭口語訳‬‬
「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。 もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」

質疑応答

質問①:8章16節の「御霊」と「霊」は違うのか?

ブルーベリーさん:

7/2【ローマ8:14-27】
①📖8:16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
⬆️この御霊と私達の霊は別物ですか?
私達の霊と共にと書いてあるので、御霊と霊は違うのでしょうか??🤔

ぽんかんさん:

すごい質問ですね。いきなり本質にきりこみますね!

ぽんかんさん:

原文では同じ単語ですが、
日本語訳聖書では神の霊を「御霊」、人の霊を「霊」と訳しわけることが多いようです。
英語では
神の霊は大文字ではじめて、定冠詞theを補い、人の霊は小文字という訳し分け方をするのが翻訳の伝統のようです。
https://biblehub.com/romans/8-16.htm

人の霊は人の心の中の一器官です。
ヘブル4:12などご参照ください。

第一テサロニケ5:23もご覧ください。
ローマ8章を読み解く際にすごく重要な箇所です

質問②:8章17節の「苦難」とは?

ブルーベリーさん:

7/2【ローマ8:14-27】
②📖8:17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
⬆️苦難を共にしているという【苦難とは】悪に染まらないように神を表現する事が苦難なのでしょうか?

また、神の相続人であり、キリストと共同の相続人とは?
以前、宇宙の管理人みたいな話があったと思います。宇宙の管理人にクリスチャンもなれるんですか?

ドリアンさん:

苦難とは、ちょうど鉄が何度も何度も火の中で叩かれることで、不純物を焼いて、純度を増すようなものです。わたしたちはこの世にいる間、苦難を経ることで、神を表現するその度合いを増すことができるようになります。

そうです。この宇宙というより、新しい宇宙、新天新地のキリストと共同の相続人となります。

ブルーベリーさん:

おおぉ?!✨
私の解釈も間違ってなさそう!!

オリーブさん:

「しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。」
‭‭ペテロの第二の手紙‬ ‭3:13‬ ‭口語訳‬‬

ブルーベリーさん:

新天新地の補足ですね?
ありがとうございます🐥

オリーブさん:

【苦難について】

「スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。 『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」
‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭2:8-10‬ ‭口語訳‬‬

ブルーベリーさん:

📖ヨハネの黙示録2:8-10
こっちは、本当に苦難が待ち受けていそうです・・・😨

オリーブさん:

好きな人、愛する人のためなら苦しくても頑張りたいとおもうでしょう?

ブルーベリーさん:

頑張りたいですけど...頑張れるのかな😨

オリーブさん:

【苦難について②】

「義のために迫害されてきた人たちは、 さいわいである、 天国は彼らのものである。 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭5:10-12‬ ‭口語訳‬‬

ブルーベリーさん:

マタイの福音書5:10-12
こっちの苦難も怖いです😱

オリーブさん:

イエス様もおっしゃってます。

「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭10:38-39‬ ‭口語訳‬‬

質問③:8章19節の「被造物」はどこまで含む?

ブルーベリーさん:

7/2【ローマ8:14-27】
③📖8:19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
⬆️被造物って、人間以外の動植物ですか?

ドリアンさん:

人、地上の動物、空中の鳥、水中の魚、太陽、月、星などです。

質問④:8章21節の「栄光の自由」とは?

ブルーベリーさん:

7/2【ローマ8:14-27】
④📖8:21かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。

⬆️そうなんですか?!栄光の自由というのは、動くことができる?いや、産みの苦しみは動物。既に動いてる。
栄光の自由とは、何ですか?

ドリアンさん:

現在、被造物は腐敗と腐朽の法則のもとで、奴隷とされています。それらの望みはただ、神の子たちが出現する時に、朽ち果てる奴隷状態から自由にされて、神の子供たちの栄光の自由に入ることです。

ブルーベリーさん:

7/2④神の子供達と栄光の自由に入る…という【自由】とは、神さまを内に入れる事なのか、それとも自由に話したり出来るとか??
【自由】って、何でしょうね?

ドリアンさん:

朽ち果てる奴隷状態からの自由です。

ブルーベリーさん:

奴隷状態からの自由というのは、神さまを内に入れるっていうクリスチャンの様になれるということ?

ぽんかんさん:

はい。罪の奴隷であったときは、神の義については自由でした。神の奴隷になると、罪から段階的に解放されていきます。

"罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。"
ローマ人への手紙 6 2023節 聖書 新改訳2003

段階的にというのは、
まずクリスチャンになった当初は霊だけ(ローマ8:10)、
次に魂(思い。6節)、さらに体(肉。11節)ということです。
霊、魂、体と内側から外側にひろがります。

ブルーベリーさん:

分かりやすいです✨✏️

ドリアンさん:

基本的に、クリスチャン以外は、サタンの支配下にあり、自由ではないのです。

"私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。"
ヨハネの手紙 第一 5章19節

「また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。」
‭‭ヨハネの第一の手紙‬ ‭5:19‬ ‭口語訳‬‬

ブルーベリーさん:

なるほど。読めてきました💡

質問⑤:8章23節の「御霊の最初の実」とは?

ブルーベリーさん:

【ローマ8:14-27】
📖8:23それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。

⬆️御霊の最初の実を私達が持っているんですか?!
御霊の実って7つあるんですよね?えーっと...自制、柔和とかいう。それを最初に持ってるって..いつから持っているんですか?

ドリアンさん:

実とありますが、初穂とも訳せます。その霊の初穂とは、初穂としてのその霊ご自身です。彼はわたしたちのすべてです。わたしたちの体が贖われる時、この祝福の収穫があります。それは満ち満ちた享受です。今日その霊は、来るべき収穫の初穂、神の満ち満ちた享受の前味わいです。

ブルーベリーさん:

よく分からないです💦

わたしたちの体が贖われる時、この祝福の収穫があります。それは満ち満ちた享受です。
↑ ⅰ 贖われる時=体が死ぬ時?

今日その霊は、来るべき収穫の初穂、神の満ち満ちた享受の前味わいです。
↑ ⅱ 今日その霊は、来るべき収穫の初穂って、📖8:23ですか?

ドリアンさん:

朽ちる体ではなく、朽ちない体を着せられることです。

そうそう。8:23。初穂、前味わい。手付金です。ある土地の売買契約の前に、昔はその土地の土の一部を相手に渡す習慣があり、それが今では手付金を払う習慣となっています。神はわたしたちの完全な贖いの前味わい、手付けとして、その霊をわたしたちに与えます。

ブルーベリーさん:

(ⅰ)贖われる時…いつのタイミングが分からないけど、永遠の命の体を着させてくれる事が感謝すべき享受であると。

(ⅱ)なるほど!霊が入ってくるというのが初穂なんですね💡

ぽんかんさん:

アーメン。

オリーブさん:

ドリアンさんの注解を、もう少し日本語よりに考えてみました。

神の子となる人々は聖霊(御霊)の初め実(初穂)祝福を受けます。しかし、初穂があるなら、その後の本格的な収穫があります。神の子として、完全に贖われるときがきます。

「すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8:23‬ ‭口語訳‬‬

オリーブさん:

【ローマ8:23】初穂について
「それだけでなく御霊の初穂を…」ー新改訳2017

【初穂について】
読み流してください。
季節のいちばん初めの収穫を神への感謝のしるしとして捧げることはずっと昔から行われてきましたし、律法にも定められていました。

「あなたは七週の祭、すなわち小麦刈りの初穂の祭を行わなければならない。また年の終りに取り入れの祭を行わなければならない。」
‭‭出エジプト記‬ ‭34:22‬ ‭口語訳‬‬

【初穂について②】
読み流してください
キリストは初穂と呼ばれています

しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
コリント人への第一の手紙 15:20 口語訳

質問⑥:8章27節「人の心を探り知るかた」は誰?

ブルーベリーさん:

7/2【ローマ8:14-27】
⑥📖8:27そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

⬆️人の心を探り知る方とは神ですか?
聖徒って、突然出てきましたね😅敬虔なクリスチャンの方々を指しますか?
御霊は神の御旨にかなう、とりなしをしてくれるんですか😵

ドリアンさん:

神です。聖霊のことです。聖徒はクリスチャンのことです。とりなす霊は、わたしたちが神の御子のかたちに同形化されるように、神の何かに従ってではなく、神ご自身に従って祈られます。

ブルーベリーさん:

【ローマ8:14-27】派生の質問。

📖8:16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

⬆️この御霊と私達の霊は別物ですか?
私達の霊と共にと書いてあるので、御霊と霊は違うのでしょうか??🤔

と質問して、神の場合と自身の霊の場合で英文の頭文字がラージかスモールかという話がありました。
それでですね、この神の霊と私達の霊は同じ場所に入っているんですか?私達は霊を2つ入れているんでしょうか??

ドリアンさん:

もともと最初の創造の時から、私たちには三部分(体、魂、霊)がありました。この霊は神ご自身を入れる器です。イエスを信じた時に、そこに神ご自身が命を与える霊として入られました。今や神の霊と人の霊がミングリングして一つ霊となっております。ですから、二つではなく一つ霊です。

イエスが肉体にあった頃、弟子たちのことを呼ばれるのに、もっとも親しい呼び方は「友」でした。

"わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。"
ヨハネの福音書 15章15節

しかし、復活された時に、弟子たちのことを「兄弟たち」と呼ばれました。

"イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」"
ヨハネの福音書 20章17節

兄弟たちと呼ばれるからには、イエスは長子ですね。

質問⑦:

ブルーベリーさん:

7/1【ローマ8:14-27】全体の感想
📖8:26御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

⬆️このように書いてあるので、祈り方が分からなくても大丈夫なんだと安心しました😄

ドリアンさん:

この弱さは、わたしたちがどのように祈ったら良いのかわからないことです。わたしたちは、神が願っておられる祈りがなんであるか、わかりません。そして、神の御子のかたちに同形化されるために、わたしたちが感じる負担にしたがって、どのように祈ったら良いのかも、はっきりしていません。ですから、わたしたちはうめくのです。わたしたちのうめきと共に、その霊もうめき、わたしたちのためにとりなしてくださいます。彼のとりなしは、おもに命の造り変えにおいて、わたしたちが成長して子たる身分の円熟へと至り、神の御子のかたちに、完全に同形化するためです。

オリーブさん:

はい、わたしも、何をどのように祈ればよいかわからないときがあります。
そういう苦しいときにわたしたちのために願い出てくださるというのは感謝ですね!

 

以上です。