
2020年6月30日(火曜日)分、ローマ7章の後半です。今日の質問は面白いですよ!①律法を破るためにある?②罪は私を欺く?③律法は霊的なもの?④したくない事をしちゃうと律法がよいもとの認めることになる?なんだか訳がわからないが、ドリアンさんの回答で納得です!
聖書朗読
いつもの耳に優しい、お父さんの声ですよ。
聖書本文
「それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。 では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。 わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。 わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。 もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。 そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。 すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。 もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。
ローマ人への手紙 7:7-25 口語訳
質疑応答
質問①:7章7節、律法を破るのは当たり前ですか?
ブルーベリーさん:
ローマ7章7節
それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。
⬆️律法は守るべき事だと思うんですけど...律法があるから罪を認識する事ができるという事は律法は罪なのでは??
私達は【律法を破るのが当たり前】だと、前回言われてました。だから守るべき法律であって罪ではない??
混乱してきました😵🌀
オリーブさん:
へんな例えだけど、子供時代って大人の人生からしたらしょせんは子供ですよね
でもこの時代も人生の中ですごく大事な期間ですよね?
コレとにてないかなあ
ブルーベリーさん:
なるほどー。
ドリアンさん:
律法の性質については問題ありません。律法の性質、本質は聖であり、公正であり、善です。
律法が来る前、罪は眠っていました。しかしながら、律法が現れると、罪は活気づき、生き返りました。律法は命に至らせるはずであったのに、最終的に、わたしたちに関する限り、それは死でした。
ブルーベリーさん:
そうなんですね。
罪が活気づいた過去があるんですね。それらは罪と判定され、死に至る。
ドリアンさん:
ちょっと違いますね。わたしたちが律法を持つまでは、罪は寝ています。仕事をしません。しかし、わたしたちが律法を守ろうとすると、罪はムクっと起き上がり、笑みを浮かべて、わたしたちが律法を守る力がないことを証明しようとします。
ブルーベリーさん:
そうですね。
最後まで読むと同じ理解になりました!
質問②:7章11節、罪が私を欺くってどういう意味?
ブルーベリーさん:
ローマ7章11節
なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。
⬆️欺かれたんですか??
ドリアンさん:
罪は人殺しであり、律法は殺す道具です。律法は罪がわたしたちを殺すために使うナイフです。ナイフや殺す道具がなければ、人を殺すのは難しいです。罪は律法を用いて、まずわたしたちを欺き、次に殺します。欺き殺す行為は確かに人の行動ですから、わたしたちは罪をサタンの人格化と考えなければなりません。
ブルーベリーさん:
私達は何に(何を?)欺かれているんですか??
律法がナイフであること?
ドリアンさん:
わたしたちが神の律法を守る力があると思うことです。そのような力もないのに、欺かれて、「ハイ、守ります」と答えることです。
マスカットさん:
【ハイ、守りますと答えること】
できると言い張ってしまったいい例は、荒野にいたイスラエルの民ですね。出エジプト記19:8、24:3、24:7などで、主の言われたことをすべて行うと言いました。一見良さそうですが、無謀な宣言でしたね。そのあと尽く神の戒めを破ることになりました。
"民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。"
出エジプト記19章8節 聖書 新改訳2017
オリーブさん:
ペテロもそうでしたね
「するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。 イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。」
マタイによる福音書 26:33-35 口語訳
マスカットさん:
うんうん!ペテロはハッキリとイエスにダメ出しされましたね。イスラエル人には神は気象現象で答えられたと思います。すぐその後に起きましたが、怖い光景でしたね。
"三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。"
出エジプト記 19章16節 聖書 新改訳2017
オリーブさん:
本当ですね。
ブルーベリーさん:
読みましたね!
言ってました。バレるのが怖かったからかイエスを騙すためなのか。
ドリアンさん:
違いますよ。自分が分っていなかったからです。自分は本当に約束を守れるものだと思っていたのです。
ブルーベリーさん:
思い込み😵
これは抜け出せないです💦
質問③:7章14〜15節、律法って霊的なものなんですか??
ブルーベリーさん:
ローマ7章14〜15節
わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。 わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
⬆️律法って霊的なものなんですか??
私達は自分の欲することをせずに憎しむことをしているんですか??
よく@マスカットさんが、似たような事を言いますよね。皆さんも。神さまによって変えられていくという話...。
ドリアンさん:
すなわち、本質、性質、実質において、霊である神と同じであるということです。
日常生活でよくわたしたちが体験することです。「夫たちよ、妻を愛しなさい」という命令(律法)はとても良く、たやすく守れるように聞こえます。この命令が与えられると、人の思いの中野勢の法則は直ちに、「はい、そうします」と答えます。
しかしながら、彼の肉の中の悪の法則はこれを知って、「あなたはこの律法を満たそうとするのか?わたしがここにいることを知らないのか?」と答えます。その結果は敗北です。妻を愛するどころか、彼女の顔に平手打ちをするか、怒ってナイフやフォークを投げつけるかもしれません。
マスカットさん:
@ドリアンさん 爆笑(ぎゃはは)DVもいいとこですね(ゴーン)
ドリアンさん:
実際に手を出すか出さないかは別にして、朝起きて、愛しているよと言ったあと、妻が出してくれた目玉焼きが焦げていたら、食べずに会社に行くようなものですね。
オリーブさん:
焦げたやつが好きです(笑)
質問④:7章16節、欲しない事をしていると、律法が良いものと承認することになるのはなぜ?
ブルーベリーさん:
ローマ7章16節
もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。
⬆️何でそういう解釈になるんでしょうか?
ドリアンさん:
自分の欲しないことをする→悪を行ってしまう。=体の中の悪の法則に従ってしまう。
自分の欲すること→善を行うこと。=律法を守ること。=善の法則に従おうとすること。
そういう解釈になりますね。
ブルーベリーさん:
自分の欲しない事をしている=律法が良いものと承認していることになる。
だから、@ドリアン さんの回答の逆なんじゃないんですか?
ドリアンさん:
自分の欲しないこと→自分がしたくないこと→悪なことです。
一方、自分の欲すること→したいこと→善をすることです。
ブルーベリーさん:
なんでー(?)
落ち着いて考えよう...
オリーブさん:
律法を尊重し守りたいと思っているのに、罪が自分を律法を破る方向に(欲しない方向に)引いていく。
ブルーベリーさん:
ふむふむふむ🐥
分かった💡そういうことかぁ✨
以上。7章後半の質疑応答でした。次から8章です!