聖書通読|ローマ書10日目|5章後半(12-25節)

2020年6月18日の分です。

特に質問②:ローマ5章19節「多くの人が義人とされる」という箇所に対して、なぜ全員ではないのかという質問から、自由意志へ発展し、多くの方が議論に参加され、とても盛り上がりました。

聖書朗読

いつもの優しいお父さんの声ですよ。

聖書本文

‭‭ローマ人への手紙‬5章12〜21節‬ (‭口語訳‬‬)
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。 しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

オリーブさん:

 【今日の箇所の概観】
アダムのために全人類が罪人となり、キリストによりそれらの全人類に恵みがもたらされる。
律法は罪を意識させ、そして主のもたらす恵みの価値を際立たせる。といったところでしょうか?

質疑応答

質問①:5章14節、アダムはキリストの型とはどういう事か?

ブルーベリーさん:

ローマ5章14節
しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。

⬆️イエスの事を指しているんでしょうが、アダムがキリストの型ってどういう事ですか?

ドリアンさん:

アダムはキリストの予表、型です。アダムに古い人(罪の性質を持つ人類)は含まれます。ですから、キリストに全人類を含む旧創造すべてが含まれるという意味です。

ブルーベリーさん:

(;>_<;)??

オリーブさん:

こんな言葉もありますよ:

「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭15:45‬ ‭新共同訳‬‬

最後のアダムとはイエスキリストのことです。わたしたちが何を選ぶかは私たちに任されています。よい選択をしたいですね😊

ブルーベリーさん:

へぇー👀
なるほど。

質問②:5章19節「多くの人が義人とされる」とあるが、なぜ全員じゃないのか?

ブルーベリーさん:

ローマ5章19節
すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

⬆️一人の従順によって多くの人が義人とされたなら、なぜ全員じゃないんでしょう?
クリスチャンじゃなくても未信仰でも義人にならないんですか?

コーヒー豆さん:

創世記1章27節
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神様は、人をロボットのように従わせるのではなく、ご自分のように創造された。でも全人類が罪を犯し、死ぬようになった。それは、命の与え主である神様を捨てて、この世の支配者についていった罪の結果。

1ヨハネ5章19-20節
私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。しかし神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。

全人類がサタンの支配下に入ってしまったが、その中から神様の民を、御言葉を通して探して見つけ出してくださる約束ですね❣️サタンの支配下に入り、神様イエス様の御言葉を知ろうせず、この世を愛している人がほとんどだから、全員の救いは難しいようです😰💦

はちみつさん:

すみません。まだまだ勉強中でわからないことばっかりで、ブルーベリーさんが質問し、皆さんが回答される度にいつもなるほど〜と読ませて頂いてました✨

その中で、このオリーブさんがまとめて下さった所で、自分の中で?があって、「アダムのために全人類が罪人となり」の所で、神さまはなんでも知っておられる方であったなら、アダムが罪をおかしてしまうこと(禁断の実を食べてしまうこと)もわかっていたのでは…⁇と思ってしまうんです。だから、なるべくしてアダムは罪人になってしまったんじゃないかと、ひねくれた考えを持ってしまいます💦

ぽんかんさん:

ヨハネの福音書3章16節 聖書 新改訳2003
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神は先のこともお見通しでしたが、
罪を犯したのは人の側の自由意思の結果です。

オリーブさん:

わたしは3人の子供の親です。子供が神を敬い清い心で育ってほしいと願っています。同時に悪の道に走ってしまう可能性もないわけではないとも思います。でも親としてできるかぎりこことはするつもりでいます。神が地上に人をお造りになったときもそんなお気持ちだったのかなと思っています。子供たちがどう生きるかは子供たちの人生です。でもより良い人生をおくって欲しいと願っています。

神もアダムとエバに同じように願っておられたのだと思います。

ドリアンさん:

キリストは、十字架ですべての人に神への道を開きましたが、その道を受け取るかどうかは、ここでも自由意志の問題が出てきます。神は決して無理強いしません。

ヨハネによる福音書 3章16~18節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。

 

はちみつさん:

良い子になってほしいと願うけど、強制はさせずにその子の道は自分で選択させる…
神様は本当に親のような存在ですね✨まさに御父✨
でも結果的に罪を選んでしまう人は、どうしようもないですね😭

ブルーベリーさん:

罪は全人類に背負わせたのに、赦しが全人類に行き渡らない事に違和感を感じてしまうのです。もちろん自由意思を大事にされてるとか理解できます。神に義と認められる為には神を信じる必要性がある。

じゃあ、クリスチャンの子供がクリスチャンにならなかったとしても、イエスの贖いによって許された人(クリスチャン)の子供として生まれたのだから、最初から永遠の命を与えられるとならないのは、何故なんでしょう?信仰のない者は既に裁かれているから、一人一人信じる必要がある?
それともその過程こそが、神さまの望んでいることなのかなぁ?

ぽんかんさん:

今回の定額給付金と同じです。
全員に受ける権利がありますが、受け取らない人もいます。

ヨハネ1章12節を見てください。信じるというのは、うけとるということです。

ヨハネの福音書1章12節 聖書新改訳2003
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

ドリアンさん:

わたしにも息子と娘がいますが、わたしと彼らは違う人格を持っています。こうあって欲しいという親としての希望はありますが、彼らの人生は基本的に彼らが決めるものだと思います。

オリーブさん:

えと…
そうではなく、最後のアダムという表現で、全人類を贖うキリストが
アダムと同じように私たちに命を与えるち父となるということですよ

混乱させてしまってごめんなさい。

ブルーベリーさん:

あぁ!✨
そういう事ですか(笑)

はちみつさん:

@オリーブさん。ほんとうにそう思います。
丁寧にお話して下さってありがとうございます✨☺️

ブルーベリーさん:

やっばり自由意思があるから、一人一人信じる必要があるって事になるんですね。
罪は全人類に背負わせたのに・・・おかしいやぃ🌀

ドリアンさん:

アダムが自由意志で、それも選んだんですよ。
神は、ちゃんと事前に忠告しましたよ。

創世記3章3節
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。

ブルーベリーさん:

確かに事前の忠告もありました。
そうですね、選んだ。
選んだ結果、罪と死が全人類に及んだのがぁ😭
だったらクリスチャンの子どもには罪が無くなっても良いと思うのですが?

ドリアンさん:

それは無理です。アダムとエバの子どもたちを見れば分かるでしょう?
一人はカインで、一人はアベルですから。

ブルーベリーさん:

あぁ‼️なーるーほーどー
アベルー(うぅっ)

オリーブさん:

聖書の話ではないけど、アダムの罪と、贖いのことを考えているときに、ふと映画バックトゥーザフューチャーを思い出すんですよ。

過去の両親の出来事が、現在の子供たちに影響をあたえる。
それを正すには過去にもどるしかない。

ブルーベリーさん:

覚えてますし、先週末に放送してたらしいですね😄
今週は未来に行くバックトゥーザフューチャー2ですね!!

オリーブさん:

イサク マジメな話のときにゴメンなさい😅

オリーブさん:

ブルーベリーさん拾ってくれてありがとう😁

ブルーベリーさん:

アベルー(うぅっ)と嘆いても仕方ないという訳ですね😁
グッドタイミングですし、分かりやすかったですよ♪

オリーブさん:

ありがとうございます。

ぽんかんさん:

善悪知識の木、エバが最初に食べますが、それで全人類が罪人になったわけではありません。
アダムはエバのあとに食べます。そして、その時全人類が罪人になります。

ローマ人への手紙5章12節 聖書新改訳2003
そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、--それというのも全人類が罪を犯したからです。

ローマ人への手紙5章17〜18節 聖書新改訳2003
もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。"

コリント人への手紙第一15章22節 聖書新改訳2003
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

アダムにあって→アダムの中で
キリストによって→キリストの中で
と訳してもいいかもしれません。

神から見たら人類は二種類だけです。
アダムの中にいる人たちと、
キリストの中にいる人たち。

変なのって思われるかもしれませんが、神はそういう見方をしているのですね。

オリーブさん:

なるほど。

以上。