聖書通読|ローマ書8日目|4章後半(12-25節)

2020年6月16日の分です。

①「足跡を歩く者の先祖」の足跡は何を指すのか?②「世界を相続」する人は誰なのか?③「律法のないところ」はどこなのか?④アブラハムの「確信」はどこから来たのか?創世記通読パート1で基礎知識を蓄えたブルーベリーさんはの自問自答に注目!

御言朗読

いつもの優しいお父さんの声ですよ。

御言本文(口語訳)

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭4:12-25‬ ‭口語訳‬‬
かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。 すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。 だから、彼は義と認められたのである。 しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

質疑応答

①4:12「足跡を歩く者の先祖」の足跡はどういうものですか?

ブルーベリーさん:

アブラハム!重要な人物ですね💦
今回は『割礼のもので同じ信仰の足跡を歩く者の先祖でもある』という表現が気になりました。
足跡を歩く者の先祖って、ユダヤ教の事ですよね。なぜそんな表現なんですか?(以前も聞いたような気が僅かにします...)

オリーブさん:

昨日もチョット話題にでましたが、律法はアブラハムの割礼から、四百年後。その後にユダヤ教がでてきましたから、アブラハムの足跡というのはユダヤ教のことではなく、聖書の神の崇拝者すべてのための信仰の足跡ということですよ

ブルーベリーさん:

はい、少し話題になりましたね。律法が400年後のモーセの時代に出来て...ユダヤ教は更にその後ですか💦
全ての信者の先祖だから、信仰の足跡な訳ですね。

オリーブさん

系図です。

「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭1:2-4‬ ‭新共同訳‬‬

この中のナフションがモーセの律法が与えられた時代に生きていた人です。

「東側の正面に宿営する者は、ユダの宿営の旗の下に部隊ごとに位置をとる。ユダの人々の指導者はアミナダブの子ナフションで、」
‭‭民数記‬ ‭2:3‬ ‭新共同訳‬‬

②4:13「世界を相続」する人は神を信じる人ですか?

ブルーベリー:

📖4:13「なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。」

⬆️そういえば、創世記で、世界を管理するようにと神が人(アダム)に言われてましたね。それが罪を犯したために立ち消えになってしまい、エデンの園からも追放された。その後生まれた兄カインが弟アベルを殺してしまって、人がどんどん悪くなった。ノアが信頼されて人類は危機を免れ、アブラハムが後々生まれる、というあらすじですよね。このアブラハムに世界を相続させると?
単純に読むとアブラハムの子孫に世界を相続させると読めますが、その対象は神を信じる(神が義とされる人々)に世界を相続させるという意味になりますか?

マスカットさん:

文脈を知るためにエペソ1章の関連箇所を段落ごとシェアしますが、21-23節が中心になります。


4:16によれば、クリスチャン全員が信仰によってアブラハムの子孫として勘定されます。アダムへの命令である「地を治めよ」(世界を相続することと同義語)という使命は、教会に与えられたのです。エペソの1章がその答えになると思います。

なので、おっしゃる通り、「神を信じる(神が義とされる人々)に世界を相続させる」という意味です。そこに気づかれたブルーベリーさんに拍手(拍手)です!

ドリアンさん:

@ブルーベリーさん、その理解でいいと思います。誰が地を相続するのでしょうか?召されて主イエスを信じた者たち、キリストを彼らの信仰と義として持っている者たちです。ある日、世界は、すべての信じるアブラハムの相続人に属するでしょう。アブラハムと彼の子孫は、神の王国のために世界を相続しなければなりません。神の王国は彼の目的だからです。

ブルーベリーさん:

「キリストを『彼ら』の信仰と義として持っている者」...と書かれましたが、彼らはだれですか?

ドリアンさん:

彼らとは、クリスチャンのことです。

③4:15「律法のないところ」はどこ?

ブルーベリー:

📖4:15「いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。」

⬆️律法のないところって、何でしょうか?
律法(今で言う法律)が無ければ違反もないという解釈で合ってますか?

ドリアンさん:

その理解でいいと思います。罪は律法を利用し、律法は罪がわたしたちの中で働くのを助けます。ですから、律法が与えられたのは、わたしたちを助けるためではなく、罪を助けるためです。律法がなければあるいは律法から離れたなら、罪は死んでいます。詳しくは、ローマ七章までお待ちください。

マスカットさん:

そうです。律法のないところには違反なるものはない。例えば、今までになかった新しい形の不正行為が起きたとき、逮捕することができないことがあります。常識的にそれはいかんだろうとわかってても、やっちゃダメだと法律が作られていないから、逮捕できないのです。

ブルーベリーさん:

なるほど💡
律法にない不正行為かぁ!ちょっとスッキリしました♪
ありがとうございます😄

④4:21アブラハムの「確信」は神が何度も現れることが来ている?

ブルーベリー:

📖4:20-22「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。 だから、彼は義と認められたのである。」

⬆️確信できたり信仰を強くすることが出来るのは、神がアブラハムの前に何度も現れたから...と思ってしまうのですが、どうなんでしょう?

ドリアンさん:

わたしもそう思います。栄光の神はアブラハムに現れました。アブラハムが栄光の神の現れに引き付けられたことは確かです。引き付けられるとは、アブラハムが認識も意識もしないのに、神がご自身を彼の中へと注入し込まれたことを意味します。これは、近代医学で行われる放射線治療に似ています。患者はX線の下に置かれ、透過している光線を意識しません。神は最強の放射線です。わたしたちが彼の下に一時間座っているなら、彼はご自身をわたしたちの中へと注入し込まれるでしょう。

ブルーベリーさん:

アブラハムのように注入された方々の信仰や確信を私達も持てるのでしょうか?

ぽんかんさん:

可能だと思います。

ペテロの手紙第一 1章8〜9節 聖書新改訳2003
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

あと、ヘブル11章も根拠になります。ヨハネによる福音書の14〜16章に「真理の御霊」について書いてあります。それも関係あると思います。まあ、ともかく、可能です。

 

以上、ローマ4章後半の通読の質疑応答でした。創世記を先に通読をされたブルーベリーさんは、ローマ書の飲み込みは早いようですね。自分で質問を出しつつも、自分なりに答えを考えられるようになり、それもほとんど的を得ています。

振り返り

これは、後日の振り返りの時に出たものです。

マスカットさん:

【御言図解のデモ part 1】
ローマ4章25節。オフ会でおなじみ御言図解と主動式祈り読みですが、オフ会参加できなかった方のためにも、ここで少しご紹介できたらと思います。今日の通読範囲にあります、ローマ4章25節です。初めて作ったので、動画の出来は微妙ですが、参考になれたらと思います。今後ブラッシュアップしていきます。

ぽんかんさん:

わかりやすいです!

ゆばさん:

祈り読み、先日拝見しましたが大変分かりやすかったです。
御言葉の振り返りについて、信仰と律法がついになっていて律法主義への批判にも受け取れたのですが、こちらはどう解釈すれば良いのでしょうか😌

ドリアンさん:

@ゆば さん、質問ありがとうございます。今日の箇所で、「信仰と律法が対になっていて、律法主義への批判」が書かれてあるとのことですが、それは、この部分でしょうか?

ローマ4章13〜16節
なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。

ゆばさん:

@ドリアンさん、そうです。そちらの箇所です!

ドリアンさん:

これは、パウロの文章ですが、「信仰と律法が対になっていて、律法主義への批判」のどういうところが、ゆさんは理解することが困難だと思っていらっしゃるのでしょうか?

ゆばさん:

@ドリアンさん、質問内容がわかりにくくてすみません( ˙̦꒳˙̦ )
信仰を義とするにあたり、対となる律法や律法主義への批判がこの一節から読み取れたのですが、これは本当にそう解釈していいのか疑問に思いました。モーセの十戒も踏まえると信仰も律法も重要だと捉えていたからです😑

ぽんかんさん:

深い!

ローマ人への手紙前半の要点を踏まえておられますね。
これからちょうどみんなでそこを掘り下げていこうとしていたところです!

ドリアンさん:

感謝します。今わたしたちは、ローマ書の学びと創世記の学びの旅を同時に続けています。ゆさんの質問に対する答えは、わたしたちと一緒に旅を続けて下されば、来月終わり頃には、だんだん分かってくるものだと思います。よろしかったら、この疑問を抱いたまま、聖書の旅を続けてみてはいかがですか?というのは、パウロはローマ書を書くに当たって、旧約聖書を頭に思い浮かべながら書いていたからです。

ゆばさん:

@ぽんかんさん @ドリアンさんさんお返事ありがとうございます😌🙏そうなのですね、仰っていただいた通り是非ゆっくりと学んでいきたいなと思います。こうやって読み進めていくのですね、ありがとうございます🙋‍♀️

 

以上です。主動式祈り読み、楽しいので、みなさんも是非やってみてくださいね。