キリスト教の歴史

エルサレム崩壊からプロテスタントの誕生まで

●紀元70年 エルサレム崩壊

ユダヤ人が指導していたエルサレム教会が消滅

● 紀元80年頃 教会が異邦人メインに

エフェソを中心に教会が異邦人メインに。教会の中心がシリアのアンティオキア、トルコのエフェソに移行

●紀元132−135年 バル・コクバの反乱

(バル=息子 コクバ=星 星の子の反乱)
1. ユダヤ人にとって星はメシアのみ、故にメシアニック・ジュー(メシアを信じるユダヤ人)は反乱に参加しなかった。
2. 一般的なユダヤ人はメシアニック・ジューを売国奴とみなした
3. 異邦人教会(この時点ではローマ帝国からは未公認)もユダヤ人と関っていると危険であるからメシアニック・ジューから距離をおき、異邦人教会はその信仰からダヤ的色彩を排除していく(ユダヤ教の律法の放棄・土曜から日曜への安息日の移行・太陰暦から太陽暦への移行・イースターを過越の祭りと無関係の日に変更)

●紀元313年 ミラノ勅令

これによりローマ帝国がキリスト教を公認、安息日を日曜日とする法律を制定

●紀元392年 キリスト教がローマ国教化

これにより、ユダヤ的ルーツからますます離れていく

●紀元1054年 教会の東西分裂(大シスマ)

カトリック⇆東方教会がお互いを破門

●16世紀 宗教改革でプロテスタントが誕生

「聖書のみが正しい」という歩みが始まる。

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯
2020年1月16日のオープンチャットにおける部員の投稿を元に編集しました。

以上。