
アブラハム〜イスラエル10氏族離散までの概略を聖書箇所を加えて書いてみます。旧約聖書を読む際の歴史観の確認にお使いください。
◆BC2000年、古代バビロニアが隆盛を誇っていたとき、メソポタミア地方に一つの家族が住んでいた。家族の長の名はアブラムで、彼は広大なメソポタミアの平原を羊と共に移動しながら暮らしていた。そのため地元の人々は、彼らのことを『移動する人』という意味で『ハビル人』と呼んだ。
◆後に彼らはユーフラテス川地域からパレスチナ地方、エジプトに移動したために『川の対岸からやってきた』という意味でハビル人→ヘブル人→ヘブライ人と呼ばれる。
◆アブラムは後に神からの勅命を受け、名をアブラハムに改め[創17:5]、イシュマエルとイサクという二人の息子をもうけ[創21:2]、イシュマエルは『アラブ民族の父』となる。一方イサクはエサウとヤコブという双子の息子をもうけ[創25]、弟のヤコブは神の勅命によって名を『イスラエル』と変えたが[創32:29]、彼こそが『イスラエル民族の父』となる。
◆このヤコブ(イスラエル)は四人の妻に12人の息子を生ませ[創29:31-30:50、35:17]、生まれた順にルベン・シメオン・レビ・ユダ・ダン・ナフタリ・ガド・アシェル・イッサカル・ゼブルン・ヨセフ・ベニヤミンと名付けた。父ヤコブの死後[創49:33]、それぞれ皆一族の長となり、ルベン族・シメオン族・・・・という支族が誕生した。但しレビ族だけは祭祀を司る専門職である[民1:47-50]ため、通常イスラエル12支族には数えない。レビ族だけを抜いて数える場合、11男ヨセフの息子であるマナセ・エフライム[創46:20]を独立させ、それぞれマナセ族・エフライム族とする。
◆父ヤコブに最も可愛がられていた11男ヨセフは、一番下の弟ベニヤミンを除いた兄たちの嫉妬を買い、エジプトに売られてしまう[創37:18-28]。ところが当時世界中を襲った大飢饉から逃れるため、ヤコブと息子たちの一族がすべての財産と家畜を伴いエジプトに赴くと、そこで彼らを迎えたのはファラオに次ぐ地位であるエジプト首相に就いていた11男ヨセフであった[創41:37-45:3]。ヨセフは兄弟たちを許し[創45:4-45:8、50:17-21]、イスラエル一族はエジプトの地で子孫を増やして大いに栄えた[出1:1-7]。だがヨセフの死後、イスラエル人の勢力を恐れたファラオが、彼らを奴隷の境遇に突き落としてしまった[出1:8-14]。
◆そうした中、一人の男が立つ。名はモーセ。苦境の中にあったイスラエル人が待ち望むメシアにして、偉大なる大預言者であった[出3]。彼はBC年1290年に全イスラエル民族を率いてエジプトを脱出[出12:37]。以後40年間にも及ぶ荒野での集団放浪生活を送ったが[民14:34]、この間に”神”はイスラエル民族に『十戒石板』、『マナの壺』[出16:33]、『アロンの杖』[民17:16-26]という三種の神器とそれらを入れる『契約の聖櫃(アーク)』[出25:10]を授けた。これは”神”とイスラエル12支族との契約の証で、古代ヘブライ教(原ユダヤ教)の成立を意味した。
◆BC1250年、大預言者モーセの後を引き継いだ[民27]ヨシュアは、イスラエル12支族を率いてヨルダン川を横断して[ヨシュ3]約束の地カナン(パレスチナ地方)へと進入した[ヨシュ4]。イスラエル12支族は神が約束した土地であるという大義のもとに先住民と戦い、瞬く間に征服し、支族ごとに12の領地に分割した[ヨシュ19:49]。ここにイスラエル王国の基礎が築かれたたわけだが、当初は戦争の英雄がイスラエル12支族を統治していた(士師時代)。
◆BC1000年頃、預言者サムエルは、サウルという英雄を王として[サム上9]統一国家を作ろうとしたが、サウルは傲慢さ[サム上18:7]故に失脚。代わって羊飼いの青年ダビデが大王として選出される。[サム下5]
◆ダビデは混乱していた全イスラエル民族を完全に統一し、ここに歴史に名を残す『イスラエル統一王国』が誕生した[サム下5:12]。この統一王国はダビデの息子ソロモンの時代に頂点を極めた[王上4-5]。イスラエル史上最大の栄華を誇ったソロモン王はそれまでの移動式の幕屋を堅固な固定式の幕屋にするため、贅沢な材料を大量に使用して巨大な神殿を建設した[王上6:37]。世にいう『ソロモン第一神殿』である。
◆イスラエル統一王国が国家として隆盛を誇る半面、民は重税と強制労働に大きな不満を抱いていた[王上4:7]。それがソロモン王の死後噴出し、ソロモンの息子レハブアムが即位すると[王上11:42]、エフライム族のヤロブアムが反乱を開始した[王上11:26]。戦火は王国内に拡大し、内乱へと発展した。
◆BC925年、ついにイスラエル統一王国は大分裂[王上12]。ヤロブアムを支持するルベン・シメオン・ダン・ナフタリ・ガド・アシェル・イッサカル・ゼブルン・エフライム・マナセの10支族とレビ族の一部が、サマリアを首都とする『北王国イスラエル』の建国を宣言した。
◆一方、ソロモンの息子を正当と考えるユダ・ベニヤミンの2支族とレビ族の一部はエルサレムを首都とする『南王国ユダ』の建国を宣言した。
◆イスラエル統一王国の分裂は単に政治的な面にとどまらず、宗教的な面においても分裂を引き起こしてしまった。南王国ユダは以前と同じようにソロモン神殿で『絶対神ヤハゥエ』を信仰していた。それに対して北王国イスラエルは、黄金の子牛像を作り[王上12:28]これを礼拝、偶像崇拝に陥ってしまった[王上12:33]。これは『ヤロブアムの罪』[王上13:34]と呼ばれている。
◆北王国イスラエルの偶像崇拝は日毎に激化し、パレスチナ地方の異教の神々をも礼拝し始めた。そしてついには本来の古代ユダヤ教とは全く異質な信仰と化してしまった。偶像崇拝がイスラエル10支族の霊的堕落の大きな原因となったのである。神は北王国イスラエルにエリヤ・エリシャ・ホセア[王上17:1、19:19]といった預言者を送り、民族の霊的回復を図ったが、この預言者らの必死の働きも空しく、もはや信仰的回復は不可能となっていた。
◆BC722年、メソポタミアに勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国がパレスチナ地方に進入し、北王国イスラエルに襲いかかった。防戦空しく北王国イスラエルはあっけなく滅亡し、10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され完全に捕囚(ニネベ捕囚)[王下17:23]されてしまった。北王国イスラエルの滅亡を目の当たりにした南王国ユダのユダ族中心の2氏族たちは、改めて偶像崇拝の恐ろしさを自戒し『ダビデ王統』を守り続けていった[王下18:3]。
◆が、しばらくすると南王国ユダも同じ過ちを冒し、北王国滅亡から135年後のBC587年、新バビロニア王国によって滅亡してしまった[王下25]。南王国の2支族はバビロンへと捕囚(バビロン捕囚)され、不滅と言われたソロモン神殿は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失いバビロンの地で涙することとなった[王下25]。
◆BC538年の新バビロニア王国の滅亡と、その後のペルシャ帝国の寛容な宗教政策により、南王国の2支族はパレスチナ地方へ帰還することができた[エズ1:2-4]。彼らはソロモン神殿を再建し[ハガ2]、徹底した契約厳守の律法主義に基づく『新ユダヤ教』をつくり、現在のユダヤ人へと至る。
◆一方南王国の2支族が帰還したとき、すでにアッシリア帝国は滅亡していたのに、そこに捕囚されていた北王国の10支族は(一部を除き)パレスチナ地方へ帰還しておらず、しかも捕囚の地にも彼らの姿はなかった。ユダ2支族よりも神から多くの祝福を受けていたはずのイスラエル10支族は歴史の表舞台から消えてしまった。(離散=ディアスポラ)
以上。
2020/1/8のオープンチャットの部員Dの投稿より編集