(2)出身は丸秘!才色兼備のエステルが王妃になる!(エステル記2章の要約と質疑応答)

通読日:2020年11月10日(火)

LINEオープンチャット「聖書部」の投稿からのまとめです。

質問は三つありました。

エステル記第2章のあらすじ

アシュハロス王の侍従たちは、ワシテに代わって王妃となる者をさがすため、国中の容貌の美しい処女をすべて集め、王に選ばせます。

首都スサにイスラエル人モルデカイが捕囚として住んでいました。モルデカイは従妹で孤児であったエステルを引き取って養女として育てていました。

エステルは美しい娘であったので、新しい王妃を選ぶために王の家に連れていかれました。エステルは会う人かすべてに気に入られ厚遇されますが、自分の民族や親族のことについては黙っていました。

エステルは王に気に入られて王妃となります。モルデカイは王の暗殺をくわだてる者がいることを知り、エステルを通して王に伝え、暗殺は阻止されます。

エステル記第2章の朗読と本文(口語訳)

いつもの優しい声の朗読です!

1これらのことの後、アハシュエロス王の怒りがとけ、王はワシテおよび彼女のしたこと、また彼女に対して定めたことを思い起した。 2時に王に仕える侍臣たちは言った、「美しい若い処女たちを王のために尋ね求めましょう。 3どうぞ王はこの国の各州において役人を選び、美しい若い処女をことごとく首都スサにある婦人の居室に集めさせ、婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの管理のもとにおいて、化粧のための品々を彼らに与えてください。 4こうして御意にかなうおとめをとって、ワシテの代りに王妃としてください」。王はこの事をよしとし、そのように行った。
5さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。 6彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕えていったユダの王エコニヤと共に捕えられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕え移された者である。 7彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた。彼女には父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。 8王の命令と詔が伝えられ、多くのおとめが首都スサに集められて、ヘガイの管理のもとにおかれたとき、エステルもまた王宮に携え行かれ、婦人をつかさどるヘガイの管理のもとにおかれた。 9このおとめはヘガイの心にかなって、そのいつくしみを得た。すなわちヘガイはすみやかに彼女に化粧の品々および食物の分け前を与え、また宮中から七人のすぐれた侍女を選んで彼女に付き添わせ、彼女とその侍女たちを婦人の居室のうちの最も良い所に移した。 10エステルは自分の民のことをも、自分の同族のことをも人に知らせなかった。モルデカイがこれを知らすなと彼女に命じたからである。 11モルデカイはエステルの様子および彼女がどうしているかを知ろうと、毎日婦人の居室の庭の前を歩いた。
12おとめたちはおのおの婦人のための規定にしたがって十二か月を経て後、順番にアハシュエロス王の所へ行くのであった。これは彼らの化粧の期間として、没薬の油を用いること六か月、香料および婦人の化粧に使う品々を用いること六か月が定められていたからである。 13こうしておとめは王の所へ行くのであった。そしておとめが婦人の居室を出て王宮へ行く時には、すべてその望む物が与えられた。 14そして夕方行って、あくる朝第二の婦人の居室に帰り、そばめたちをつかさどる王の侍従シャシガズの管理に移された。王がその女を喜び、名ざして召すのでなければ、再び王の所へ行くことはなかった。
15さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。 16エステルがアハシュエロス王に召されて王宮へ行ったのは、その治世の第七年の十月、すなわちテベテの月であった。 17王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。 18そして王は大いなる酒宴を催して、すべての大臣と侍臣をもてなした。エステルの酒宴がこれである。また諸州に免税を行い、王の大きな度量にしたがって贈り物を与えた。
19二度目に処女たちが集められたとき、モルデカイは王の門にすわっていた。 20エステルはモルデカイが命じたように、まだ自分の同族のことをも自分の民のことをも人に知らせなかった。エステルはモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変らなかった。 21そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、 22その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。 23その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。

エステル記 2:1‭-‬23 口語訳

エステル記第2章の質疑応答

質問①なぜエステルは自分の民族と生まれを明かさなかったのか?

【質問さん】

ユダヤ人である事がわかると不都合があったのでしょうか?

「エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてならないと彼女に命じておいたからである。」新改訳 エステル記 2:10

【回答さん】

その当時、アブラハムの子孫たちであるイスラエルの民は、ペルシャという偉大な異国の地で捕囚として暮らしていました。エステルもモルデカイも捕囚の民の一人であるユダヤ人(イスラエルの民)です。王妃になるチャンスが訪れたという時に、捕虜の一人であるということを明かすことに何の得もないばかりか、そのチャンスさえ失いかねません。また、モルデカイはエステルが王妃になれば、いずれ自分たちユダヤ民族の得になるかもしれないということを密かに考えていたのかもしれません。このようなことから、モルデカイはエステルに自分の民族のことを黙っておきなさいと言ったのだと思います。

質問②ユダヤ人が捕囚されたきっかけは何でしょうか?

【質問さん】

エステル記の時代にはユダヤ人が捕囚されていましたが、そうなったきっかけは何でしょう?

【回答さん】

良き地に入った後のイスラエルは神に忠信ではありませんでした。イスラエルの民は神を捨てたために、ついにユダの王国とイスラエルの王国とに分かれてしまいました。イスラエルの王国は背教となって、神を捨て、エルサレムにあった唯一の中心とは別に礼拝するところを設けたのです。イスラエルの王国はアッシリア人たちに占領され、後ほど、ユダの王国もバビロン人たちによって占領されてしまいました。その時から、1967年に至るまで、エルサレムの都は占領されたまま、イスラエルに返還されることはありませんでした。

イスラエルの民は堕落し腐敗したので、神は彼らを奴隷として異邦の民たちの手に渡すことによって、懲らしめ、罰せられました。しかし、神は厳しさの中にも、憐れみを持っておられます。神は隠れた方法で彼らを顧みておられました。そして神は彼らを救うために、ちょうど良い時に公に介入されました。

一方で、神は彼の民を懲らしめるための道具として、異邦の民を用いられました。またもう一方で、ご自身を隠す神はイスラエルの民と共にいて、彼らを顧みておられました。やがて、神はメド・ペルシャ帝国を用いて、バビロン帝国を倒されました。ペルシャの王クロスは、神の牧者、神の願いを成就する者、また神に油塗られた者、神の目的を果たす者とさえ呼ばれています。このことから、わたしたちはご自身を隠す神が、隠れた方法で、イスラエルのために多くのことを行われたことがわかります。

質問③ユダヤ人は捕囚されている割には自由に暮らしているようですが?

【質問さん】

捕囚されている割には、ユダヤ人たちが自由に暮らしているような雰囲気を感じますが、どのような形態の捕囚だったのでしょうか?

【回答さん】

紀元前586年、エルサレムはバビロンに滅ぼされ、ユダヤ人の多くは捕囚となり、バビロンへ強制的に移住させられました。そのバビロンを滅ぼしたペルシャのクロス王は、紀元前539年に勅令を出し、ユダヤ人も故国に帰るよう促しました。しかし、実際には、帰還した民はわずかで、その大部分はペルシャにそのまま残留しました。彼らは外国での生活に慣れ、生活も安定し、今さら、故国になど帰りたくないというのが本音だったようです。ユダヤ人の中にも、エズラやネヘミヤ、また本書のモルデガイのように、ペルシャ帝国で高い地位につくものが現れました。ペルシャの宗教はゾロアスター教でしたが、彼らは他民族に自分たちの宗教を強制することはせず、非常に寛大な宗教政策をとっていました。

【質問さん】

簡潔でとてもわかりやすい説明をありがとうございました。バビロン捕囚とペルシャ帝国が、私の頭の中でゴッチャになっていたのが、すっきりしました。また、エステルの時代のペルシャ帝国では、寛大な宗教政策をとっていたということで、ユダヤ人たちも捕囚されていたとは言え、割と自由な生活ができていたり、自分たちの信仰も守ることができたのですね!

 

以上です。

編集者注:初めて読む方にとって読みやすいように、実際の質問者と回答者が複数いてもまとめたりしています。文面も適宜編集しています。ニックネームは変えています。

Credit: Eye-catch picture by Edwin Long on Wikipedia