(1)王室スキャンダル!王のわがままで廃妃、壮大な新王妃選抜プロジェクト(エステル記1章の要約と質疑応答)

通読日:2020年11月9日(月)

LINEオープンチャット「聖書部」の投稿からのまとめです。初日なので、エステル記全体のための導入があります。

エステル記通読の導入

エステル記の舞台はペルシャ帝国の首都スサです。当時ペルシャ帝国はアハシュエロス王の治世で、インドからエチオピアまでを治め強大な勢力を持っていました。

アブラハムの子孫たちであるイスラエルの民は、そのような異国の地で捕囚として暮らしていました。

エステル記全体を通して、神はそのような異国の地においてさえも、ひそかに神の民を守ります。

さて、神はどのようにして神の民を守り、救うのでしょうか?

エステル記第1章の要約

アハシュエロス王は広大な領土を治めるペルシャ帝国の王でした。彼はすべての首長たち、有力者たちを集めて宴会をします。酒によって気を良くした王は、美しい王妃ワシテを首長たちに見せるために呼び出そうとしますが、彼女はそれを拒みます。

王は怒り、国の知者たちに相談します。知者たちは、このままだと国中の女たちが影響されて夫に従わなくなるおそれがあると答えます。王はワシテから王妃の位を奪い、ほかの女性に与えることを国中に布告します。

エステル記第1章の朗読と本文(口語訳)

いつもの優しい声の朗読です!

アハシュエロスすなわちインドからエチオピヤまで百二十七州を治めたアハシュエロスの世、 アハシュエロス王が首都スサで、その国の位に座していたころ、 その治世の第三年に、彼はその大臣および侍臣たちのために酒宴を設けた。ペルシャとメデアの将軍および貴族ならびに諸州の大臣たちがその前にいた。 その時、王はその盛んな国の富と、その王威の輝きと、はなやかさを示して多くの日を重ね、百八十日に及んだ。 これらの日が終った時、王は王の宮殿の園の庭で、首都スサにいる大小のすべての民のために七日の間、酒宴を設けた。 そこには白綿布の垂幕と青色のとばりとがあって、紫色の細布のひもで銀の輪および大理石の柱につながれていた。また長いすは金銀で作られ、石膏と大理石と真珠貝および宝石の切りはめ細工の床の上に置かれていた。 酒は金の杯で賜わり、その杯はそれぞれ違ったもので、王の大きな度量にふさわしく、王の用いる酒を惜しみなく賜わった。 その飲むことは法にかない、だれもしいられることはなかった。これは王が人々におのおの自分の好むようにさせよと宮廷のすべての役人に命じておいたからである。 王妃ワシテもまたアハシュエロス王に属する王宮の内で女たちのために酒宴を設けた。 七日目にアハシュエロス王は酒のために心が楽しくなり、王の前に仕える七人の侍従メホマン、ビズタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタルおよびカルカスに命じて、 王妃ワシテに王妃の冠をかぶらせて王の前にこさせよと言った。これは彼女が美しかったので、その美しさを民らと大臣たちに見せるためであった。 ところが、王妃ワシテは侍従が伝えた王の命令に従って来ることを拒んだので、王は大いに憤り、その怒りが彼の内に燃えた。 そこで王は時を知っている知者に言った、――王はすべて法律と審判に通じている者に相談するのを常とした。 時に王の次にいた人々はペルシャおよびメデアの七人の大臣カルシナ、セタル、アデマタ、タルシシ、メレス、マルセナ、メムカンであった。彼らは皆王の顔を見る者で、国の首位に座する人々であった―― 「王妃ワシテは、アハシュエロス王が侍従をもって伝えた命令を行わないゆえ、法律に従って彼女にどうしたらよかろうか」。 メムカンは王と大臣たちの前で言った、「王妃ワシテはただ王にむかって悪い事をしたばかりでなく、すべての大臣およびアハシュエロス王の各州のすべての民にむかってもしたのです。 王妃のこの行いはあまねくすべての女たちに聞えて、彼らはついにその目に夫を卑しめ、『アハシュエロス王は王妃ワシテに、彼の前に来るように命じたがこなかった』と言うでしょう。 王妃のこの行いを聞いたペルシャとメデアの大臣の夫人たちもまた、今日、王のすべての大臣たちにこのように言うでしょう。そうすれば必ず卑しめと怒りが多く起ります。 もし王がよしとされるならば、ワシテはこの後、再びアハシュエロス王の前にきてはならないという王の命令を下し、これをペルシャとメデアの法律の中に書きいれて変ることのないようにし、そして王妃の位を彼女にまさる他の者に与えなさい。 王の下される詔がこの大きな国にあまねく告げ示されるとき、妻たる者はことごとく、その夫を高下の別なく共に敬うようになるでしょう」。 王と大臣たちはこの言葉をよしとしたので、王はメムカンの言葉のとおりに行った。 王は王の諸州にあまねく書を送り、各州にはその文字にしたがい、各民族にはその言語にしたがって書き送り、すべて男子たる者はその家の主となるべきこと、また自分の民の言語を用いて語るべきことをさとした。

エステル記 1:1‭-‬22 口語訳

エステル記第1章の質疑応答

質問①王はなぜ勅書をそれぞれの民族の言葉で書かせたか?

🙋‍♀️フラワーさん(質問者)

「王は支配下のすべての州に勅書を送ったが、それは州ごとにその州の文字で、また、民族ごとにその民族の言語で書かれていた。すべての男子が自分の家の主人となり、自分の母国語で話せるようにとの計らいからであった。

エステル記‬ ‭1:22‬ ‭新共同訳‬‬

👨‍🏫ジョシュア

王妃は王の命令に従わなかったことが背景にあります。王は夫を敬う大切さを全国に浸透させるために、それぞれの母国語で勅書を書くことで、男子である夫がそれを母国語で説明できるので、妻の前で威厳を持てる。彼らにとっての共通語はいわば外国語ですから、共通語を使うと、所詮両方とも支配される立場を表すだけなので。ということではないでしょうか。国民として王によって支配されている事実はあるが、家庭内では夫を敬うようにということを強調したかったと思います。

王が出される詔勅がこの大きな王国の隅々まで告げ知らされれば、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を敬うようになるでしょう。

エステル記 1章20節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

国は家庭からなっているので、妻が夫を敬わない(※)となると、それを見る子どもも父親を敬わなくなり、成長すれば親方を敬わない、下剋上上等になり、反乱も起こり得うし、国全体が乱れます。やはり社会安定のために、秩序を保ちたかった面もあると思います。

※その裏返しが、夫が妻を支配することではないので、誤解がないように。

18節にも書いてありますね。

"王妃のことが女たちみなに知れ渡り、『クセルクセス王が王妃ワシュティに、王の前に来るように命じたのに、来なかった』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。今日にでも、王妃のことを聞いたペルシアとメディアの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちにこのことを言って、並々ならぬ軽蔑と怒りが起こることでしょう。"

エステル記 1章17~18節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

一方で、王の尋常ならぬ栄華の見せびらかしと怒りがこの悲劇の起因だと言われています。そもそも王妃を呼ぶことは適切だったのか?拒否されてもそこまでする必要があったのか?そういうことも英語のコメンタリーの中では問題視されています。(詳細は質問②の回答に続く)

質問②王妃はなぜ王の召喚を拒絶したか?

🙋‍♀️フラワーさん

素朴な疑問なのですが、王妃はなぜ王の召喚を拒否したのですか?

ところが、王妃ワシュティは宦官の伝えた王の命令を拒み、来ようとしなかった。王は大いに機嫌を損ね、怒りに燃え、

エステル記‬ ‭1:12‬ ‭新共同訳‬‬

当時、今以上に男尊女卑が強固だっただろうに、王の誘いを断った王妃は、相当気が強い人だったのでしょうか?あるいは社会の制度や構造としての女性差別は存在するけれど、個人単位では当時から気の強い女性もいたもいうことでしょうか?拒絶したら死ぬかもしれないのに。

👨‍🏫ジョシュア

いくつかの英語のコメンタリーによれば、王妃はむしろ気品が高く、勇気のある方として解釈されている面があります。というのはお酒で酔っ払った男たちの前に姿を見せるのは、高貴な王妃の気品を損なうものだと考えられていたと解釈されています。民族の風習によっては、妻を誰にでも姿を見せていいものではないと考えられていました。王は酔っていて、平民の前にでも自分の姿を晒すのは、遊女扱いされているように思えたのかもしれないと。

"この期間が終わると、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。"

エステル記 1章5節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

聖書では拒否の理由を書いてませんので、真実は断定できませんが、コメンタリーは基本的に王妃に同情的です。

それと同時に、王の召喚がよくなかったとしても、妻はやはり夫に従うべきだと、新約のパウロの書簡を引用した見解も付け加えられている神学者もいます。対比してはもうしわけないのですが、エステルは極めて従順でした。

🙋‍♀️フラワーさん(質問者)

なるほど、すごく腑に落ちました。そのような時代背景があった中で王妃は(もしかしたら葛藤の末に)拒否したのだと思うと、その後の王の怒りは不当だと感じてしまいます。王の命令に従った場合、自分だけでなく自分を妻に持つ王の品位をも結果として落としてしまうリスクまで危惧した上での選択でありうると、個人的には思うからです。

しかし、これすら神様のご計画の一部やと思うと、万事を益となさる神様はすごいですね。いずれにせよ王妃が殺されなくて本当に良かったです🥺

ご教示ありがとうございました🙇‍♂️✨

質問③王妃がエステルになるもの神のご計画?

🙋‍♀️フラワーさん(質問者)

王妃が変わりエステルになるので、神のご計画もあるのかと思ってしまいますが?

👨‍🏫マスカットさん(回答者)

神のご計画だと思いますよ。

【神の計画と人の自由意志】

とてもいい質問で、答えるのに難しく、聖書学者の間でも、神の主権を軽視するか、人の自由意思を軽視するかどちらかだそうです。Tozerという聖書学者は両立可能な説明を試みました。参考までにそれを要約してお伝えします。

●神に最高の主権がある

神は最高の主権を持っているが故に、人に選択の自由を与えることができる。そうでなければ人が手に負えないとなると、神も神でなくなる。

●人の自由意志の範囲は有限

神は人が自由意志を持って彼を受け入れるかどうかを選択できるように定めた。そこまでだ。だから人は何を選択しようと、神に与えられた自由意志を行使しているだけであって、神にとって彼の計画に反した予想外の出来事にならない。しかし人がいざ神を選ぶと、後のこと(造り変えられては神に似ること)は神が行う。人には何もできない。

●神の主権の元にある人の意思

神は大きなクルーズ船🚢の目的地を決めた。乗るかどうかは自由。それぞれの結末も決まっている。いざ乗れば、いやでも遅かれ早かれ目的地についてしまう。しかしその間クルーズ船では自由行動ができる。

エステル記1章でいうと、王の非常な行動の結果、エステルが王妃になったのです。それを許したのは神の御手(ご計画による介入)があったものだと、聖所学者のコメンタリーでは言及されています。

さらに詳しくいうと、王は自分の栄光に浮かれてそれを見せびらかそうと、当時の倫理道徳に反して、王妃を酔っ払いの平民の前に晒そうとしたこと、そして冷静に判断し高潔さを保とうとした王妃を廃止したこと。しかも夫婦間の事柄を、第三者のアドバイスに従って行ったこと。王妃と直接話しあったことは記載されていない。王のわがままと怒り方は尋常ではありません。

神は隠れてことを行う傾向があるので、これがご計画、これが自由意志というふうに切り分けられないと思います。そこはもう人智を超えた神の無限の叡智があるとしか言えません。以上です。

🙋‍♀️フラワーさん(質問者)

では人間の人生は神によってある程度、決められていますか?

👨‍🏫マスカットさん(回答者)

旧約の主要人物を見ると、マイルストーン的な出来事は予め神の脚本があったように見受けられます。私たちに関してはどの程度かはわかりません。神の介入が多い人と少ない人がいるとは個人的に思います。パウロに関しては神が直接介入して改心させましたね。神が私たちの心を探らなかったら、神に立ち返ることはなかったと思います。それは全ての人に当てはまります。

それよりももっと進んで認識するべきことはこれです。私たちは与えられた自由意志を使って、神の意志を選ぶことです。私たちにできることはそれしかありません。聖書から、交わりから、祈りから、神の意志を認識し、進んで選ぶ。パラドックスですが、進んで「選ばれる人になること」を選ぶとも言えるかもしれません。

🙋‍♀️フラワー(質問者)

有難うございます 人間の自由意志で神に従っていくという事ですね

👨‍🏫マスカットさん(回答者)

そうです。

Tozerの別の発表で言及されていることですが、Tennysonという人がこういう賛美歌を書きました:

Our wills are ours,

we know not how;

Our wills are ours,

to make them Thine.

拙訳:私たちの意志は私たちのものですが、どうしたらいいか分かりません。私たちの意志は私たちのものですが、あなたの意志になるようにあるものです。

新しいエルサレムに向かう船が寄港しました。乗るか乗らないか、人の自由。乗っても途中から飛び降りるか飛び降りないかは、人の自由意志。しかし船長は神なので、目的地に向かう操縦に関しては私たちは何もできません。寄港する神の船に出会う回数は、人生において限られていると思います。出会ったら乗りましょう。ということです。

(本)"家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。モーセは、後に語られることを証しするために、神の家全体の中でしもべとして忠実でした。しかしキリストは、御子として神の家を治めることに忠実でした。そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、

あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。"

ヘブル人への手紙 3章4~8節

"「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。"

ヘブル人への手紙 3章13節 聖書 新改訳2017

🙋‍♀️フラワーさん(質問者)

有り難うございます😊難しい問題なんですね。少し理解できました。色々、例をあげて頂き有り難うございます。より理解できました😊

 

以上です。

編集者注:初めて読む方にとって読みやすいように、実際の質問者と回答者が複数いてもまとめたりしています。文面も適宜編集しています。ニックネームは変えています。