祝・祭日等に対する聖書部のスタンス

聖書部のスタンスの要約

●いかなる祝・祭日も祝いません

教会暦関連(クリスマス、イースター、ペンテコステ等)、個人の誕生日や偉人・聖人の生誕、記念等を含め、祝いません。

●祝わない理由

祝・祭日は基本的に、①聖書と関係がないもの、②聖書と世俗的な考えが混ざったもの、③旧約時代の規定(安息日等)、のいずれかです。どれも聖書で新約時代の信者に守るように命じられていないからです。

●唯一の基準

それは聖書です。私たちが推奨しているのは、主イエスご自身が唯一守るように命じられた、聖餐式(ルカ22:19)です。

●結論とお願い

したがって、祝・祭日に際しては、お祝いの言葉はお控えいただき、いつも通り、通読や朗読にご参加ください。ご理解のほど、どうぞよろしくお願いします。

📖"またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。"
ルカ 22:19 (口語訳)

聖書はなんと言っているのか?

●祝祭日よりもキリストに注目しょう!

📖"こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。"
コロサイ 2:16-17 (新改訳2017)

●時の節目に神様に対して気持ちをリセットしよう!

📖"神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。"
創世記1:14-15 (口語訳)

季節と日夜は神が定めたので、自然の季節の節目における日常挨拶のようなものは、聖書の教えに抵触しません。例えば、朝になったら「おはよう」、月曜日になったから「今週もよろしく」、新しい年になったら「今年もよろしく」、山の日に「山に行こう」、海の日に「海に行こう」、というようなことは、もちろん問題はございません。

さらに言えば、クリスチャンとしては、そういう神が作った自然の節目は、神への再び献身をし、リセットするきっかけになるということです。エレミヤは朝ごとに神を仰いていました。その原則が毎週、毎月、毎年に適用することは幸いなことです。毎日、毎週、毎月、毎年、私たちは、神様に新たに献身することによって、神と「契約更新」を確認することができます。

📖"主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。"
哀歌3:22-23 (口語訳)

以上です。よろしくお願いします。

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