「死を滅ぼす」とはどういうこと?死が死ぬ?第一コリント15章26節のパラドックスに迫る!

2022/08/30 オプチャ聖書部より編集

やりとりをほぼそのまま転記してあります。

一律敬称略

みどりさん

"最後の敵として滅ぼされるのは、死です。"
コリント人への手紙 第一 15章26節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

"罪の報酬は死です。……"
ローマ人への手紙 6章23節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちの人間の最大の敵は死なのでしょうか…… (´;ω;`)

ジョシュア

いい質問ですね!

死だけは、人は誰も逆らえません。世紀のヒーローは地球を救えても、死から自分を救うことはできません。

神は命の木によって表徴されているように、サタンは善悪の知識の木によって表徴されます。前者が命をもたらし、後者は死をもたらします。

神から見て、善と悪の二元論ではなく、命か死かです。善と悪は同じ木にあります。

モーセの言葉:

"私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。…"
申命記 30章19節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは日々の行動において、「命と死の選択」をしています。それは内にいるキリストに従うことです。彼は「いのちを与える御霊」となって、私たちの中に住んでいるので、私たちは命の感覚を持つことができます。

"こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。"
コリント人への手紙 第一 15章45節

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みどり

神さまからみたら、
命か死……。

"それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」"
ロマ  3章10~12節

を思い起こしました…。

善とか悪のレベルですら到底ない……

命か死……。
ありがとうございました。

カオナシ

神から見て「命」とは続けること…?
継続されていくこと…?
「死」とは全ての終わりということ…?
そこからは何も生まれないということ…?

(´-ω-`)フム

ジョシュア

聖書がいう命と相対する「死」は善悪の知識の木なので、むしろ思いが活発の状態です。かと言って思考停止して神に依り頼むのが命というわけではなく…

思考、つまり「思い」を肉につけるか、御霊につけるか、の違いです。

"肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。"
ローマ人への手紙 8章6~9節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

*投稿時は色んな訳本から引用されますが、記事は便宜上、新改訳2017に置き換えています。